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みなべの梅

今和歌山県にいます。観光じゃなく仕事なのですが、仕事中でも車窓から観る景色であったり、電車から眺める風景。どこ行っても私の住む青森と変わらないなぁーと見ています。
さて、和歌山県のみなべ町と言えば梅の産地。
果樹園のダイヤモンドとも言われたみなべの梅が行政やJAの指導のもとに増産増産が続き、果てには需給バランスが崩れ今では産地での在庫が計り知れないほどの量になっているそうです。
今回の梅農家、また稲作農業にしかり、誰の指導のもとにあってでも栽培するのは個々の責任のもと。非常に大切なことです。

農家として作るということは売るということのように思えてなりません。
作り手の目線ではなく消費者の目線にたった栽培管理。今以上に注意していかなければと再認識させられました。
和歌山でお世話になった野田社長はじめ、馬場さん、船山さん、勉強なりました。
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こだわり

佐藤さんのこだわりは何ですか?
こだわらないのが私のこだわりです。と答えた。
ハァー?って感じの顔をされた。
でも、こだわらないのが私のこだわりですと答えた。
10年くらい前だったら剪定にこだわってます。とか、土づくりにこだわってますとか言ったのかも知れないが今はこだわらないのがこだわりで。
ひとつの作業に特化することもないし、その意思もない。
りんご栽培をしてみれば、何一つムダな作業なんてない。すべては一の積み重ね。単純な作業であっても必要だからするわけだし。すべては一つ一つの積み重ね。
これ以外には美味しいりんごを生産する手段もないと思うし、とんでもないところへ行く道もないと思う。だから私のこだわりとは?こだわらないのが私のこだわりです。

秋本番へ

二十日盆まで毎晩墓参りしますが、弟夫婦や妹夫婦そして父親の兄弟や祖父母の兄弟。たくさんの方が墓参りや御仏前に灯を灯してくれました。
我が家の先祖は親類仲良くやってくれ。との思いで我々をみていると思っております。

お盆モードも終わり、りんご園では夏秋りんごの収穫期が迫ってまいり、ウカウカしておられません。すでに収穫したりんごもありますが、本格的にこれから始まります。
津軽の短い夏も終わり秋本番へ突入です。

りんごを愉しむ

職業がりんご作りということはりんごを売ることだと常々思う。
売るということを考えたとき作るではなく創ることであるように思う。
15年ほど前に酒の席でりんごづくりの師が言った言葉に、盃を前に丸い盃をりんごに例え、世の中ににりんご栽培を生業としている人は消費人口からみれば丸い盃の円周の1000分の1にも満たない。と。仮に1000分の1としよう。残りの999は消費者だと。
999の声を聞いて作りだすりんごが、これからのりんご作りではないか?と。
職人堅気の親父が酒の席で言った一言を今でも鮮明に覚えている。

皮をむいて生食で食べるりんごもりんご。
煮て、焼いて、あるいは蒸して食べるりんごもりんご。
発酵させて飲むのもりんご。
手段は様々。すべてに適したりんご作りがあると思う。

創ることの基には作るがあるように思う。

もっともっと愉しみたい。
りんごの可能性をもっともっと愉しみたい。

『きおう』終盤

早生りんごの黄色品種代表格のきおうの収穫が終盤になりました。明日明後日で終われそうな感じです。それと共に注文を締め切ります。
水田転作園で40アールほどあります。
10年くらい前の話ですが地元のスーパーへ買い物に行った際にこのりんごが店頭に並べられてるのが出会いで、この時期にして、白っぽい黄色みがかった色艶に足止めされた記憶があります。
買って食したりんごの数少ないひとつです。
きおうが終われば早生の王様つがるが始まります。

私の住む集落に先日から噂になっていたが、本当に熊が出没するらしい。
山間部に住んでいるため不思議でないと言えばそれまでだが、自分の目で見たことがないので本当に?と思ってしまう。
桃を生産している農家から傷んだ桃でも良いなら分けてあげるから取りに来い!とのこと。車で3分で着く距離だ。
熊の糞だと言うのだからホントだろう。まだ生暖かい。食い散らした桃。

周りをグルーッと見渡すが熊はいない。
この食われた桃を見ると、こりゃホントに熊がいるんだなぁ~と。

それだけ自然に近いという想いもあるが、少しは焦ってる・・・。
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