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豪雪の新年

新年あけましておめでとうございます。
昨年同様今年もよろしくお願いします。
豪雪の新年となりました。
元日はお昼過ぎに妹夫婦が遊びに来て一緒に食事をし、夕方4時過ぎにダウンし、寝て起きたら今の時間。
窓と外を見ると長靴を履いても無理な量の雪です。
私は雪国育ちですが、これだけの雪の積もった庭先を見るのは初めてです。
道路の除雪車が置いていった雪は太ももの高さ以上にあります。
家の建屋はもちろんですが、機械の格納庫や車庫の雪が心配です。
その他、りんご樹に積もった雪も降ろさないといけません。
これも雪国の宿命ではありますが自然は我々人間に過酷なほどの試練を与えます。
できる限りのことはすべて乗り越えなければなりません。

昨年末に衆議院選挙があり、今後4年間の日本の方向性が決まりました。
日本人に一番身近な農産物の米の減反政策も3年後には廃止されます。
3年後の農業者の平均年齢は70を越えると予想されますが、どのような農業を創造すれば食料の安定供給に貢献できるのか?
そのための大切な1年になることは間違いありません。

今年も皆様方に支えられながらの1年になろうかと思いますが、「創る」ということを常に頭に描きながら今年1年過ごしたいと思います。
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衝撃

生きるということは食べるということ。
生き続けるということは食べ続けるということ。

これって生産者の視点なのだろうか?

ある方からこのように言われた。
食べたもので自分がつくられてると思うと食べ方も生き方の一つだと。
ガーンと頭を何かで殴られたくらいの衝撃を受けた。
何でかは知らない。
しかし、気付けなかった自分が情けなく衝撃を受けたように感じる自分がいるということは、きっとそうなんだろ。
記しておきたくて突拍子もないが残す。
しばらくは頭から離れない言葉になるだろう。

山手線車内

ただいま山手線の車内。うまい具合に座れてるので楽だ。
家族旅行で東京来てるけど東京の人達の歩く早さに着いていけない。それと、電車内の6割強は携帯いじり。
新聞のいらない時代が遠くない気がする。
どうなるんだろ?世の中は…。
田舎に住んでいれば先祖代々からの付き合いがあるため、お悔やみ覧は必ず目を通す。
都会の人って見ないよね?いや、見切れないのが本音だろうね。
今日、五度ほど電車に乗ったが新聞を見てる人を見かけなかったなぁ。
新聞社も大変な時代になったもんだ。
そろそろ東京駅に電車が着く。
帰れば雪が待っている。
心配だが、やれることしかできないために、やれることのすべてをやり、後悔だけはないようにしなければならない。

完売御礼

昨日をもって平成26年産のりんごの販売は完売となりました。
たくさんの方からの御注文ありがとうございました。
すでに27年産の生産のために取りかかっております。
今年度も皆様に支持していただけるようなりんご生産を目指します。
何卒よろしくお願い致します。

表現

とある場所で非常に考えさせられる言葉を聞いた。
「表現」という言葉なのだが・・・。
深く考えなければよかった。

言葉の言えない赤ちゃんは泣いて伝えようと表現します。
テレビは表現するのか?
音声も画像も流れないテレビそのものを見たときにテレビとは表現してるのか?
難しいよね。
仕事柄、りんごの樹を見れば私の眼には表現しているように見えます。
りんごそのものの個体を見ても表現してるように見えます。
目線は個々の自由なんだけど、確実に自分の眼には表現してるように見える。
命のあるものが表現できるのかなぁとも考えたがどうやら違いそうだ。

視点が違えば表現を感じ取れるのかもしれないし、とにかく頭の中が四六時中「表現」という言葉でグルグルしてる。

要は一人でも多くの人にりんごを見た際に表現を感じ取ってもらうにはどうしたらよいのか?という結論になるのだろうが、ものづくりに生きる者として言葉に魂が宿るならば、ものにも魂が宿ると思う。
ものとは、りんご。

いや、違う。考えてることがこんなんじゃない。自分のりんごが云々じゃなく、表現の本質って何なのか?

頭を悩ませている。

夢中

本格的に剪定を始めた。
徐々にだがようやく眼も慣れてきてスピードがあがる。
ラジオを聞いたり聞かなかったりだが、今日ラジオから聞きなれない言葉が流れてきた。
「ワークライフバランス」という言葉だった。
仕事と生活のバランスをうまくとらなければならないということだった。
佐藤隆治-りんご=0
目指すところはここなのだが、バランスもなにもあったものではないと思った。
仕事一筋という時代とは変わったのだろう。

ラジオに気を取られながらでも順調に進めている。
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